夢想メモリ

ゲームの攻略、データ、感想、縛りプレイのこと等を中心に、ゲームとは無関係の雑記も書きます。

子供の頃と大人になった今のゲームの楽しみ方を比べてみる

昔どんな子供であったか考えさせられる機会があったので、私が子供の頃からやっているゲームとの関わり方について、昔を思い出して今と比べてみることにする。

子供の頃のゲームの遊び方

子供の頃はゲームの同じ部分、クリア済みのステージやボス戦などを繰り返し遊んでいることが多かったように思う。特に自由度の高いゲームをやっている訳でもなかったし、より早くクリアしようとか、別のやり方を試してみようとかいった意思も無かった。それでも純粋に楽しめていた記憶がある。

そのような遊び方をしていたのは、感性が豊かで何でも新鮮に感じられたというポジティブな要因もあったが、ネガティブな要因もあった。

その1つは、怖くて先に進めないということだった。子供が遊ぶことを想定して作られている筈のゲームでも、妙に恐怖を感じさせる場面が多々ある。そういった場面に遭遇した時、先が気になって進めたい気持ちより、怖くて先に進みたくない気持ちの方が勝っていた。

もう1つも似ているが、難しくて先に進めないということだった。同じことを繰り返しても飽きない一方、失敗を繰り返して上達するという苦しみを伴うプロセスに対しては飽きっぽかった。

移行期の頃のゲームの遊び方

小学4年生から中学生くらいまでだろうか、この頃はゲームの楽しみ方という観点で移行期だった。

小学生高学年くらいになると、完璧主義的な傾向が現れた。アイテムを取ったか忘れてやり直すとか、少し間が空いてどこまで進めたか分からなくなると最初からやり直すといったことをよくしていた。中学生くらいの頃は、ゲーム中にある全てのアイテムを拾おうとか、全てのステータスを最大まで上げようとかいった方向性もあった。

こういう傾向が現れたのは、

  • まともにゲームがクリアできるようになって余裕が生じたこと
  • 攻略本や攻略サイトの記述が理解できるようになったこと

に元来の性格的傾向が組み合わさった結果だと思う。

大人になった(?)今のゲームの遊び方

子供の頃と大きく変わったこととして、目的無しに繰り返し遊ぶことができなくなった。

評価の尺度に基づいたり、特定の制約を課したりして遊ぶことが多くなった。評価の尺度と言うのは、ゲームのシステムとして最初から用意されているスコアの様なものを採用することもあるし、ゲームのシステムでは測定されないクリアまでの時間(一部ゲームではシステムで計測されていることもあるが)などを導入することもある。目的無しに繰り返し遊べない一方で、目的がある時の根気は以前と比べて遥かに強くなったと思う。

また、検証のためにゲームをすることも多くなった。これは、用いる尺度での評価を改善したり、制約の中で目標を達成したりする為だけではなく、評価の尺度を発見する為とか、システムを把握することそのものが目的であることもある。こういった検証は、簡単なことであっても、実験の枠組みを設定するのが意外と難しく、まともにできるようになったのは18歳くらいからだった。

他には間接的な人間関係の為にゲームをすることもある。あまり反応は貰えていないものの、こうやってブログでゲームについて何かを書いたりするのは、間接的に人間関係に基づいていると言えるだろう。

振り返ってみて

やはり、子供の頃と同じようにゲームを遊んでいる訳ではなかった。遊ぶことにも意味や目的を求めるようになって来ている。本当に自分が大人になったかは疑わしいが、それなりの変化はあったということだろう。しかし、同じ事ばかりやっている神経質な子供だったということは、ある意味では今も変わっていないようにも思う。

大人になってゲームが楽しめる観点

ここからは少し一般論を含めて話を進めてみる。大人になってゲームが楽しめなくなったという話をよく聞くが、逆に楽しんでいる人にはどういう観点があるのか、私個人の経験を基にしつつ、他の人の感覚を類推してみる。

人間関係に基づいている

大人になってもゲームを楽しんでいる人の特徴として、ゲームそのものだけでなく、ゲームを通した人間関係も楽しんでいることが挙げられると思う。ゲームを通した人間関係で代表的なのは、オンラインゲームにおける協力や対戦だろう。

例えば、(詳しくないんだけど)MMORPGでは、課金額やプレイヤー個人のスキルより、レベル上げや装備の強化に投入した時間や、複数人で共闘することによって、ゲーム内で良い結果が得られる。こうした性質が人間関係の形成を強く促進しており、ゲーム自体の面白さだけでなく、人間関係もプレイする理由になっていると思う。

シングルプレイのオフラインゲームでも、SNS等で情報や感想を共有したり、スコアやクリアまでの時間を競ったりするのは、間接的だが人間関係を楽しんでいると言えるだろう。

こうした関係は、本質的にゲーム以外のものを通しても成立するので、この観点はゲームをやらない人にも理解しやすいと思う。

自分で目標を作る

これは1つ目と変わって、ゲームをよくやる人にしか理解しがたい感覚かも知れない。

多くのゲームは、子供の頃からゲームをよくやって来た大人にとって、ただクリアするだけでは易しすぎて、大きなやりがいや達成感を感じられない。

そこで、スコアやタイム等の結果をよくすることを目標にプレイすることで楽しむことができる。ゲームが元来そのような指標を持っていなくても、自ら評価の尺度を設ければ同じことができる。

あるいは、万人がクリアすることを期待されていない高難易度に挑んだり、自ら制約を課したりして楽しむこともできる。

次々に新しいゲームをクリアしていく

子供の様に同じゲームを繰り返しプレイできないなら、新しい体験を求めて次々に新しいゲームをプレイしていくこともできる。大人になれば子供の頃より自由に使えるお金が多くなるので、こういった遊び方を実現しやすくなる。

また、多くのゲームを遊べるという点と安くゲームを手に入れられるという点から、PCはこのような遊び方に適したプラットフォームだと思うのだが、大人の方がゲーミングPCを導入する為の初期費用や知識が障害になりにくいと思う。